13.科学記者 辻篤子さん

2013-07-01

2013年7月号(Part 1)

「今月のCoの花さん」は、出産・育児・介護といったライフイベントと研究活動を両立してきた諸先輩方や、研究者としてのロールモデルをご紹介するコーナーです。

 

辻篤子先生のご紹介

<所属>朝日新聞社 オピニオン編集部員 科学記者

 今回は、いつもにもましてスゴい方です(興奮気味) リケジョの大先輩でご活躍中の新聞記者さんです! 

 新聞記者というお仕事は、政治、経済、国際、社会、地域、生活、文化、科学、スポーツなどなど、さまざまな分野に大別できるかと思いますが、辻さんはその中でも科学分野を担当する、いわゆる科学記者さんです!

 ・・・スゴくないですか? だって、山梨でフツーに生活していたら到底お会いすることのないですよね?!

 じゃあどうやってこの好機を得たのかというと・・・実は、「理系女性のキャリア形成」という科目の講義で来校された先生なのでした。 で、講義の後にちゃっかりお時間を頂くことに成功♪ 山梨県兼業主婦リケジョの筆者としてはお話できるだけでも興奮しちゃうのに、恐れ多くもプロ中のプロにインタビューですって!まあどうしましょ~(笑)

 新聞記者というお仕事に就くまでの様子やそのお仕事っぷりを伺いました。

 

 科学記者として長きに渡り経験を積んでこられた辻さん。まずは経歴をご紹介します。

 東京大学理Ⅱ/教養学科/科学史・科学哲学を卒業。朝日新聞に入社して最初の赴任先が甲府支局だったことから、山梨は第2の故郷とおっしゃいます。

 かれこれ30ウン年前に、2年ほど甲府支局で県内を飛び回ったり、“サツマワリ”(警察関係者へ粘り強く取材をすること)をしたりと記者の基本を学んだのだそうです。

 その後東京本社科学部に戻り、

  1988年~1995年 アエラ発行室

  1989年~1990年MITナイト科学ジャーナリズムフェロー

  1997年~2000年 アメリカ総局

  2000年~2002年 科学部

  2004年  オックスフォード大学ロイターフェロー、論説委員

  2010年  書評委員

  2013年  オピニオン編集部員

という科学記者として輝かしい経歴をたどっていらっしゃいます。

 

●まずは、理系に進んだきっかけは何でしたか?

 実は両親共、理系だったんです。なので、「理系に行くのが当然」的な環境で育ったおかげかと思います。

 

●幼少期から何の疑いもなく理系だったんですか・・・念のため伺いますが、問題なく、ちゃんと数学も理科もお得意だった?

 まあ、そうですね。苦手と思ったことはありませんでした。でも決して文系科目がきらいということもなく、文章を書くことも好きでした。理系、文系ともどちらでも良かったので、のちのちを考えたとき「文系から理系」よりも「理系から文系」に転向する方がラクそうかな、という考えで理系に進みました。

 ●やっぱり「文章を書くのが好き」なんですね!理系の人って結構「文章の読み書きが苦手」という人が多いと思っていたので、「記者=文章を書く人」かつ「科学分野=理系」というお仕事ができる人って、珍しいなあと思っていたんですよ(笑)科学記者という仕事にはどのようにして就いたのですか?

 研究者である父が「科学は最大のレジャーだ」などと言うのを聞いて、私にとってはレジャーじゃないな、と科学者になるのはあきらめました。そんなとき、大学のゼミの先輩が朝日新聞で科学記者をしていることを知り、当時は科学部がある新聞社が少なかったこともあって、朝日新聞を目指すことにしました。

 

●一番身近なロールモデルですね。

 ところが実は、新卒時は就職試験に落ちてしまったんです。それで、一度は某大手電気機器メーカーに入社し、国際規格や海外技術情報の収集・翻訳の仕事をしていました。

 

●すんなりと記者になれた訳ではなかったんですか?

 そうなんです。でもこのときの職場は女性ばかり、英文科出身の人たちが多くて楽しい職場でした。今振り返っても、このときの会社員生活の経験は貴重だったと思います。再度朝日新聞の採用試験を受けて入社し、甲府での経験を経てようやく念願の科学記者になりました。

 

憧れの職業に就くまでの道のりは、最短距離とは限らないんですね。迂回路での経験も、後の自分にとっての糧になっているなんて、なかなか深~いお話です。

次回は、職業としての醍醐味についてのお話です。お楽しみに♪